巡難一蹴     前編




「だからな、歳」
「だからね、セイ」

「「無理だ(です)」」
「「何かあってからじゃ遅いだろう(でしょう)が」」


西本願寺の新選組屯所と、そこにほど近い新選組一番隊組長の家で
ほぼ同時に同様の会話が交わされていた。


「「それでも無理なものは無理なんだ(です)っっっ!!」」

ひたすらに言い募る男達の声が力を増す。

「だがな? 歳・・・」
「でもね? セイ・・・」

切々と訴えるその言葉達にとうとう切れた二人の叫びは同時だった。


「「どんな事情があろうと、屯所に孕み女なんて置けるかっ!!」」


何事かと副長室に様子を見に来た隊士が、土方に縋るが如き局長の姿を見て
そっとその場を去った事は誰も知らない。




「おいおい、今日もやってるのかよ?」

副長室から響いてくる怒鳴り声に永倉が苦笑する。

「仕方がないよ。土方さんが折れるまで続くと思うよ?」

「それにしたってなぁ」

呆れたような藤堂の答えに原田も会話に参加する。

「神谷も嫌がってるんだろう?」

「まぁ、近藤さんや総司が心配するのもわかるがな」

「ほぉ、自分の女房の時に比べて、神谷にばかり過保護だとでも言うかと思ってたぜ?」

瑣末な事は気にせぬ顔をしつつ、女房の事は特別に扱う原田に永倉が意外な顔をする。

「まぁな。おまさが子を産む時は実家に預けていたしなぁ。子を宿した女子を
 実家でどれほど大切にしていたか、俺も見ちまったもんでな」

おまさの出産が近づいた頃から、隊の仕事優先の自分の傍に置くよりはと
実家に戻した原田は非番の度に呉服問屋であるおまさの実家に通っていた。
そこで妊婦がどれほど大切にされているか、また妊婦である事がどれほど
大変な事かを実感してきたらしい。

「神谷には実家がねぇしなぁ。強いて言えばココが実家みたいなもんだろう。
 俺達が大事にしてやってもバチは当たるめぇ」

もっともらしい原田の言葉に永倉がニヤリと笑う。

「ほほぉ。俺はてっきり子を宿して艶を増した神谷を日々拝みたいのかと」

「おお! ここにいた頃と違って、今の神谷は艶が出てきやがったからなぁ。
 今は無理だろうが、いずれはイッパツ」

ガツン!!

音と同時に原田が床に倒れこんだ。
ギギッと永倉と藤堂が顔を向けた先には、薄く笑みを浮かべた総司が
腰から抜いた鞘付きの脇差を振り下ろしたままでいる。

「くだらない話にセイを出さないでくださいね」

薄い笑みの下の殺気に気付かぬ人間は、この隊にはいない。
永倉も藤堂もコクコクと頷いた。

「近藤先生はどちらですか?」

総司の手にある脇差の鞘が払われる前にと藤堂が答えた。

「ひ、土方さんの所だよっ!」

「ありがとうございます」

置き土産のようにニコリと黒い気を纏わせた笑みを置いて、総司が副長室に足を向けた。

「・・・おい、左之。生きてるか?」

ボソリと問いかける永倉の声に床に張り付いたままの原田が答える。

「・・・総司は? もう、いねぇか?」

「ああ、土方さんの所へ行ったぜ」

その言葉に原田がガバリと勢い良く起き上がった。

「相変わらず神谷の事となると人が変わりやがる」

「原田さんが悪いんだよ。総司が怒るような事を言うから」

「まさか総司がいるなんて思わなかったんだよ。それに元はといえば八っつぁんが・・・」

藤堂と原田の掛け合いをニヤニヤ見ていた永倉だったが、自分に話の矛先が向く気配に
慌てて会話に割り込んだ。

「それにしても、あの総司の機嫌の悪さから見て神谷の説得にも失敗したらしいな」

「そうだね。あれで神谷も中々頑固だしね」

「って事は、なんだ? まだ暫くは総司と近藤さん土方さんの不機嫌は続くって訳か?」

「神谷絡みの失言には気をつけるんだな、左之」

「そうだよ。次は総司に斬られるかもよ?」

藤堂の言葉に原田が視線を泳がせる。自分の言葉に自信が持てないらしい。

「それにしても・・・神谷が子を産むまで続くのかよ、この状況は」

呆れたような永倉の言葉に他の2人の深い溜息がかぶった。



「沖田さん達の心配も理解できない訳じゃない」

再び原田の背後から気配を感じさせぬままで聞こえてきた声に、三人の身体が
びくりと揺れる。

「さ、斎藤か。脅かすなよ〜」

総司に殴られた頭を摩りながら原田が振り向く。

「で? 何が心配だって?」

怪訝そうな永倉の言葉に斎藤が口を開く。

「最近沖田さんの家の周囲をうろついている男達がいるらしい。昼間は隊士や
 神谷の知り合いが随分出入りしているが、夜ともなれば沖田さんが隊務で
 不在の時、神谷はひとりだ」

「それって神谷を狙ってるやつがいるって事? 総司絡みで?」

「断言はできんがな。可能性が皆無とも言えんだろう」

心配そうな藤堂に答える斎藤もどこか気遣わしげだ。

「放っておけんな、そりゃ」

今にも腕まくりをするような気配で原田が気炎を上げる。

「総司が試衛館の末っ子だっていうなら、神谷は新選組の末っ子なんだぜ。
 俺達が守ってやらねぇでどうする。なぁ、八っつぁん!」

「おおよっ! ったりめぇだぜ!」

「俺も俺も。俺にとっても神谷は弟みたいなもんなんだからねっ!」

相変わらずノリの良い三馬鹿の勢いに斎藤が内心ニヤリと笑う。

「だったら明日に予定している幹部会議の時に・・・」

何事かの策を斎藤が語りだす。
熱心に耳を傾けていた三人が人の悪い笑みを浮かべ、悪事が決したと思われた。
けれど、事態は彼らの予想より早く動いていた。




その日の昼過ぎ、土方の供として黒谷に来ていた総司は控えの間で
内心ぶつぶつ言っていた。

ただでさえ向こう気の強いセイなのだ。
産み月まであと一月という今、自分の足元すらよく見えぬ程に腹部が
大きくなっていようとも、事あれば無茶をしかねない。
山崎から気をつけるようにと囁かれた。
自分の家の周囲をうろついている怪しい男達が存在すると。


先年の長州征伐で勝利した幕府は、開明派と言われる一部諸侯の根回しにより、
長州藩取り潰しを思い止まった。
万が一改易などという事となれば一部過激派だけでなく、長州藩士全てが
不逞浪士となりかねない。危険分子を無策で解き放つほど愚かな事は無いと、
これは恐らく土佐の坂本や幕府の勝あたりの進言なのであろう。
たとえ跳ねっ返りの過激派といえど長く染み付いた己が主君への忠誠と敬慕は
そうそう消えるものではない。
そうである以上、彼らを制するにはそれを纏め押さえつける頭が必要となる。
故に長州藩主を京に呼び出し参与会議に参加させ、幕府側と融和させる方法を選んだ。

幕府側は一橋、会津、越前などが各藩の意見を取りまとめ、抵抗勢力と言われる
長州、薩摩、など西国の諸藩は土佐の老公が目を配る。
そして最も厄介な腹の内を見せぬ朝廷の公家衆に関しては中川宮朝彦親王、
還俗前は青蓮院門跡であり先帝の養子でもあった宮家出身の気骨有る親王が
膝下に敷いて揺らぐ事を許さなかった。
何よりも全てを円滑に進めたのは、現天子である孝明帝と将軍徳川家茂の
絶対の信頼関係だったともいえよう。
愛妹を妻としている家茂の素直な人となりを孝明帝は慈しみ、孝明帝の聡明さと
懐の深さを家茂は慕った。
この二人の信頼関係に皹を入れようと京の外れの小村から何かと手出しを
しようとする輩もいたが、全て中川宮と一橋公に阻まれている。

もちろん全てが善意と好意で動いている訳ではなく、水面下での丁々発止の
遣り取りは枚挙に暇は無いが、それでも参与会議の面々が一致協力すべき
確かな理由があった。

近い過去に起きた清国での悲劇。
阿片戦争は一般には知られる事の無い話であったが、国を治める藩主格なら
知らぬ者などいない事実である。
大陸を手中に収めた列強諸国が次に狙うのがどこなのか判らぬ程の愚物など、
この時代の藩主として生きていけるはずもない。
この時期に国内で争いなどをしていられるばすも無い事を、誰もが承知していたのだ。
むしろ暢気に構えていたのは、江戸城の奥で安穏と太平の夢を貪っていた
愚かな幕閣達であったかもしれない。
それも将軍家茂の許可を貰っての一橋公の策略によって、甘い夢から醒めつつあるようだ。
この件に関しては、いずれ語られる事にもなる。



薄紙一枚程度の強固さではあれ取りあえず安定した協力体制の元、
国内は一見静かに治まっている。
だがそれを良く思わぬ者もいるのだ。
どれほどの危難が海の向こうから押し寄せてくるとしても、権力が一部の者達に
独占されている以上、それに逆らう者もまた必ず出てくる。
諸外国の脅威よりも目先の不満を解消する事に必死になる輩が。
そんな連中が何かといえば暗躍するのがやはり京の町であり、それらを取り締まるのも
また新選組の役目なのだ。

その中でも実働部隊の筆頭とも言える総司に対する敵意は強い。
当然その身内に対しても害意は向けられる事だろう。
常の状態ならばセイに関して、それほど神経質になる事も無い。

今は隊士だった頃とは違うのだ。
敵前逃亡をしたとて断罪される事など無いし、むしろ危難が迫れば逃げるようにと
総司だけではなく近藤土方さえもが口を酸っぱくして言い聞かせている。
けれど身重の今、逃げようにも限度がある。
否、むしろ逃げる事などできはしまい。
だからどうにか無事に身二つとなるまで、屯所の隅にでも住居を移したいと
言っているものを。
土方の説得に手間取る事は覚悟していたが、セイの説得さえこれほど難儀するとは
さすがに総司の思惑の外だった。

あまりの総司達の心配しように、それなら八木宅なり松本宅なりに隠れるとまで
言い出す始末だ。
冗談ではない。
そんな場所に行かれたら、セイの身の安全のために自分が会いに行けないではないか。
総司に承服できようはずもない。
それだけではなく、万が一居場所を知られ襲われた時に余りに守りが無さ過ぎる。
まったくどうしてこう土方と言いセイと言い、頑固なのだか・・・。
総司の心内でのボヤキは続く。




「よう」

唐突にかけられた声に総司が顔を上げた。
熨斗目正しい羽織袴のその姿は、日頃ふらりと総司の家に現れる姿とは大分違う。

「あ、浮・・・いえ、一橋公」

場所柄を弁え、総司が言い直す。

「気にしないでいいよ。人払いはしてあるからね」

「そうですか」

砕けた口調の慶喜の様子に総司も空気を柔らかく変える。

「で? 随分しけた顔(つら)ぁしてたけど、何かあったのかい?」

「いえ、大した事じゃないんですけど・・・」

言いよどむ言葉に慶喜の口角が吊り上がる。

「言いなよ。何か相当にうっぷんが溜まってるって顔ぁしてたよ?
 聞いてやるからさ」

「実は・・・」

砕けた口調と日頃の付き合いの気安さから総司が一通りを話し始めた。



「なるほどねぇ。そりゃ心配だろうねぇ」

「面白がってませんか?」

ニヤニヤと表情を緩めたままの慶喜の様子に総司が呟く。

「いやぁ、さすがにそんな事はないよ。清三郎も身重の身じゃ、
 あのすばしっこさも発揮できないだろうしね。心配じゃないの」

「そうなんですよねぇ」

はぁ、と溜息交じりの総司の肩を慶喜が力任せに叩いた。

「まぁ、そう落ち込むもんじゃないよ。きっと何か手はあるからさ」

「そうだと良いんですけどねぇ・・・。もうセイも土方さんも頑固で」

あはは、と慶喜が軽い笑いを漏らした所に部屋の外から声がかけられた。

「おおっと、肥後に会いに来たんだった。じゃあな、頑張りな」

「何しに来たんですか〜」

「鬼神の落ち込みを笑いに・・・だね」

気楽な言葉を残して慶喜が部屋を出て行き、残された総司はガクリと肩を落とした。



控えの間は静かな黒谷の中庭に面している。
開け放った障子から入り込む春の風がふわりと総司の髪を揺らした。
その中にどこか聞き覚えのある声が混じっているような気がして、耳を澄ませた
ところに足音が近づいて来る。
すいと背筋を伸ばし姿勢を整えた総司の前に永倉が姿を現した。

「あれ? どうしたんですか?」

軽く小首を傾げる総司の元に歩み寄り腰を落とした永倉が、その耳元で小さく囁いた。

「神谷が、襲われた」

「え?」

一瞬で総司の表情が強張る。
そのまま腰を浮かしかけた総司の肩を押さえつけて永倉が続けた。

「落ち着け。俺がこっちに来るのと同時に左之が向かった。
 今頃はもう片が付いてるはずだ。慌てても仕方が無ぇ」

確かに屯所と目と鼻の先の家だ。
今黒谷からどれほど急いで向かった所で全ては終わっているだろう。
たとえどんな結末だったとしても。
総司が唇を噛んだ。

「土方さんの供は俺が代わる。お前は会津の連中に覚られねぇように家へ戻れ、
 ってのが近藤さんからの指示だ」

頭の一角の妙に冷静な部分で永倉が来た事を納得している自分がいる。
総司とセイの婚姻は会津公の肝いりでもあるのだ。
セイに万が一があったならまだしも、今の不確定な段階で会津の人間に
その異変を覚られてはいたずらに気遣わせてしまいかねない。
永倉なら一切を顔に出さずに総司の元まで辿り着き、何食わぬ顔で役目を代わり
総司をセイの元に向かわせられる。そう近藤は考えたのだろう。

「では」

総司が立ち上がりかけた所へ土方が戻ってきた。
そこに居るはずもない顔を見つけ、一瞬眉根を寄せたが手早く事情を聞くと
先に立って歩き出した。

「土方さん?」

「用件は済んだ。早くしやがれ」

総司の問いかけに答える姿はいつもと寸分の違いも無い。
けれど背中から立ち上る苛立ちは、日々その姿を見慣れている総司達には
ひしひしと伝わっていた。


黒谷の門を出てだらだらと下る坂をいつもの歩調で歩く。
土方は勿論、総司も永倉も無言だ。
総司は今にも走り出したいのを押さえつけるのが精一杯で、土方がいつもの大路から
脇道に外れた事にも気づかなかった。


どんっ、と永倉に背を叩かれ足元に落としていた視線を上げると土方が走り出している。

「行くぞっ」

永倉が総司を追い越し土方の後を追って走る。
慌てて総司もそれを追った。

新選組の幹部が揃って大路を疾走したなら何事かと周囲の目を惹くだろう。
だから土方は路地に入った。
隊士である以上、京の町筋の大路小路は全て頭に入っている。
人が少なく、最短距離で家に戻れる路を選んで土方が走る。
いつの間にか永倉を追い抜いた総司も、セイの無事を祈りながら走り続けた。




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